人物

升田鉄三の経歴や結婚は?妻や兄弟・父親の職業についても調査!

こんにちは!! KOSHIです!!

日本の最北端の島、礼文島で、島民約2500人の命を守る医師がいます。
島民の命に寄り添い奔走してきた医師の名は「升田鉄三(ますだ てつぞう)」医師。

人口が減り続ける礼文島を、無医村にしてはならない…。そんな思いから34年間
医療活動を続けています。

そんな離島の名医である升田鉄三さんとはどんな方なのでしょうか?

そこで今回は
升田鉄三さんの経歴や結婚、妻や兄弟・父親の職業について
迫っていきたいと思います!

題して「升田鉄三の経歴や結婚は?妻や兄弟・父親の職業についても調査!

では、始めていきましょう!!

 

升田鉄三の経歴や結婚

 

まずは、升田鉄三さんの経歴や結婚についてみていきましょう!!

 

升田鉄三さんのプロフィール

 

升田鉄三(ますだ てつぞう)

生年月日:1954年

出身地:北海道礼文町

北海道、礼文町国民健康保険船泊診療所・所長

 

升田鉄三さんの経歴

 

升田鉄三さんは北海道礼文町出身の医師になります。

礼文島礼文町の漁師の家で生まれ、中学までは礼文島で過ごします。
高校からは島をでて、奨学金を得て秋田大学医学部に入学します。

1979年に秋田大学を卒業し、秋田大学第一外科に入局します。
消火器内科と循環器内科を研修した後、1982年から2年間は、青森県立病院で研修します

青森県立病院外科では、甲状腺、乳がん、肺がん、血管外科、腹部一般の
外科研修を受けます。

外科の基本である手術や手術所見の書き方、カルテ記載の基本を厳しく仕込まれます。
今の診療所のカルテは、いつどの先生が来てもしっかりと引き継げるように
患者さんの全てを細かく記載しているそうです。
これができるのは、この頃の努力があったからなんだそうです。

青森県立病院での研修後は
また秋田大学で臨床医として勤務します。

 

この時期にいろいろな診療科で研修を受けて学んできたのは
礼文島に戻るためだったそうです。

 

そして、1986年に帰島し、礼文町国民健康保険船泊診療所の所長として着任します。
診療所常勤医師は升田医師ひとりだけなんです。
50年ぶりの礼文島出身の医師として、離島の名医として活躍しています。

 

礼文町の診療所

 

升田鉄三さんは礼文町国民健康保険船舶診療所に勤務しています。

着任当時の1986年頃の島の人口は、およそ5200人でした。
現在は約3分の1のおよそ2500人と減少しています。
65才以上の高齢者が36%、75才以上が20%を占めます。

1日の平均外来は77人、入院患者は14人です。

平日の診療に加えて夜間・休日の救急患者も24時間受け入れています。
応援ドクター2人が、島外から定期的に診療しますが、
常勤医は升田医師ひとりだけなので、いつも2500人の島民を診ていることになります。
看護師は産休2人を含めて16人いるそうです。

がんの化学療法、リハビリ、人工透析も症状が安定していれば
この診療所で治療が受けられます。

患者さんは専門病院に3ヶ月に1回受診する程度であり
整形外科術後や、脳卒中後遺症のリハビリ、人工透析も受けられ
とても充実しています。

 

升田鉄三さんの結婚や妻・子ども

 

升田鉄三さんには結婚した奥様がいます。 名前は「留美子さん」
奥様は小学校と中学時代の同級生で
医学部に進学して離島医療に貢献することをすすめたそうです。

奥様の伯父さんも医師で、40年間礼文島で外科医として活躍していた柳谷誠三医師です。「礼文島の奇病」と呼ばれたエキノコックス症について研究していたそうです。

 

兄弟や両親・父親の職業についても

 

次に、升田鉄三さん兄弟や両親、父親の職業についてもみていきましょう!

 

升田鉄三さんは四人兄弟になります。
四人兄弟の上二人を亡くして丈夫な子に育つようにと
近所のおばさんに鉄三と名付けられました。

高校進学のときは、小樽で働く4つ上の姉をたよって島を出たそうです。
ただ、高校時代はお寺に下宿したそうです。

この時期の苦労も、今の離島医療を支える力になっているんでしょうね。

ご両親は漁業をされていたそうです。
よく、自分の親が医師である。というのは聞きます。
升田鉄三さんは実家が診療所や病院というわけでもないようです。

小学校、中学校時代は家業の漁業を手伝っていたそうです。

 

升田鉄三さんも病気を患い活動している

 

1999年 45歳のときに濾胞性(ろほうせい)リンパ腫を発症しています。
肩や首に違和感があり、秋田の病院に、1カ月間入院したそうです。
入院の間、診療所は秋田大学の医師が担当していたそうです。

入院治療で、がん細胞のほとんどを消すことができました。
現在も、治療を継続するために3カ月毎に2週間の休暇を取って
秋田市立病院に2日間の短期入院をしています。

病気になって患者さんの心情も深く理解でき、医療に役立つこともあると
ポジティブに考えていると語っています。

 

まとめ

 

今回は「升田鉄三の経歴や結婚は?妻や兄弟・父親の職業についても調査!」と題して

升田鉄三さんの経歴や結婚、妻や兄弟・父親の職業についてを紹介してきました!

離島の名医と呼ばれ
人口が減り続ける礼文島を、無医村にしてはならない…。
そんな思いから34年間、島民の命に寄り添い医療活動を続けている升田鉄三さん!

経歴を調べていくと生まれ育った礼文島への愛情が伝わってきました!

このようにメディアにも取り上げられ、診療はかなり人気のようです!

今後のご活躍にも注目し、応援していきたいと思います☆彡

今回は以上になります!最後までお読みいただきありがとうございました!


COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です