こんにちは!! KOSHIです!!
初鹿明博(はつしか あきひろ)さんは日本の政治家で立憲民主党所属の衆議院議員になります。3期を務め、逢沢一郎衆議院議員秘書や鳩山由紀夫衆議院議員秘書という経歴を持ち、一般社団法人地域福祉推進機構代表理事も務める方になります。
今回は日本の政治家の1人である初鹿明博さんに迫っていきたいと思います。
題して「初鹿明博の辞職や離党は?発言や立憲民主党の対応・今後の活動も」
では、詳しくみていきましょう!
初鹿明博の辞職や離党は
まずは、初鹿明博さんの辞職や離党についてみていきましょう!!
初鹿明博議員がこれまでに所属した政党を調べてみると
旧民主党
民主党
みどりの風
日本未来の党
みどりの風
維新の党
民進党(松野G)
立憲民主
このように8つもあり、離党の回数が多いことがわかります。
同じ政党の中でも考えの違いはあるとは思いますが、それにしても回数は
多い方かと思います。
今現在、初鹿明博議員のことが話題となっているようですが、
今後、離党という方向なるのかは注視していく必要がありそうです。
これまでの経歴をみてみると、辞職に関する声もあがっているようです。
このあたりも現時点では確認されていないため、今後の動向が注目されるかと思います。
初鹿明博のプロフィール
名前:初鹿 明博(はつしか あきひろ)
年齢:50歳(執筆時)
生年月日:1969年4月15日
出身:東京都江戸川区
中学:江戸川区立小松川第二中学校
高校:東京都立両国高等学校
大学:東京大学法学部
趣味:料理、絵画やロックコンサート鑑賞、折り紙
職業:衆議院議員、一般社団法人地域福祉推進機構代表理事
所属:立憲民主党(代表:枝野幸男)
初鹿明博の経歴
初鹿明博議員は東京都出身、1969年4月15日生まれの今年で50歳になります。
中学から大学まで地元の東京の学校に通っています。
出身高校の両国高等学校は偏差値68というエリートが集まる進学校で有名です。
高校卒業後は東京大学法学部に進学し、大学時代から政治家になることを志しています。
卒業後は逢沢一郎衆議院議員の秘書として社会人としてのスタートをきっています。
1997年に初めて東京都議会議員選挙に旧民主党公認(生活者ネットワーク推薦)で
出馬しましたが、惜しくも落選します。
落選後は元総理大臣の鳩山由紀夫氏の秘書として活躍します。
2001年には、東京都議会議員選挙に旧民主党公認で、地元の江戸川区選挙区から出馬し、初当選を果たします。以後、2009年まで都議会議員を2期勤め上げます。
2009年には、初めて衆議院議員総選挙に旧民主党公認で東京16区から出馬し、
自由民主党の島村宜伸さんを破って初当選を果たします。
2014年には衆議院議員選挙の比例東京ブロックで当選、2017年には衆議院議員選挙の
比例東京ブロックで3期目の当選を果たして現在に至ります。
また、プロフィールにもあるとおり、一般社団法人地域福祉推進機構代表理事として、
障害者福祉の活動にも取り組んでいます。
妻・子供などの家族情報
初鹿明博議員の家族構成は
妻と子供3人!高校生の長女、中学生の長男、小学生の次女と、一男二女のようですね。
年齢から考えると、長女は35歳くらいの時のお子さんかなぁと思います。
結婚は30代の頃にされたんじゃないでしょうか。
発言や立憲民主党の対応・今後の活動も
次に、初鹿明博さんの発言や立憲民主党の対応・今後の活動についてみていきましょう!!
初鹿明博議員の過去の発言に
記者の取材に対して「みんな奥さん以外に、はけ口を求めていると思うよ」というのは有名かもしれません。
この発言を受け、世間で大バッシングを浴びた経緯があります。
その発言から数年経った今現在、また初鹿明博議員のことが話題となっているようですが、
このことに関しての立憲民主党から対応は確認されていません。
また、初鹿明博議員自身からの発表もありませんので、今後の活動がどうなるのか
気になるところです。
今後も最新の情報を確認しながら注視していきたいと思います。
まとめ
今回は「初鹿明博の辞職や離党は?発言や立憲民主党の対応・今後の活動も」と題して
初鹿明博さんの辞職や離党の可能性、発言や立憲民主党の対応・今後の活動について
紹介してきました。
最後までご覧いただきありがとうございました!