こんにちは!! KOSHIです!!
2019年12月3日の放送の「名医とつながる!たけしの家庭の医学」で
村民の命と健康をたった1人で守る若き女性医師として
柾屋美緒(まさやみお)さんが紹介されます。
柾屋美緒(まさやみお)さんは岩手医科大学に入学した後
臨床研修医として、岩手医科大学で2年間、その後は糖尿病代謝内科での1年間の経験を経て、生まれ故郷の普代村に戻り、診療所所長として働くスーパードクターです!
そこで今回は
柾屋美緒(まさやみお)の経歴や学歴・姉妹について
迫っていきたいと思います!
題して「柾屋美緒(まさやみお)の経歴や学歴がすごい!姉妹についても調査!」
では、詳しくみていきましょう!
柾屋美緒(まさやみお)の経歴や学歴
まずは、柾屋美緒(まさやみお)さんの経歴や学歴についてみていきましょう!
柾屋美緒の経歴
柾屋美緒(まさや みお)さんは、生まれ故郷でありご自身が所長を務める
普代村国民健康保険診療所に幼い頃からお世話になっていたそうです。
医師を志すきっかけは小学校5年生の頃に
祖父の喜代治さんを食道がんで亡くしたことのようです。
おじいちゃんが大好きだったようで、時計の読み方を教えてもらったり
字を教えてもらったりしたそうです。
治療による副作用で苦しみながら亡くなった祖父を思い、
「本当に祖父らしい最期だったのか。」と悔しかったそうです。
祖父のこともあり、はじめは ホスピスの医師になりたいと思ったそうです。
ホスピスとは、簡単に言うと、患者が尊厳を持って過ごしていけるように支援する緩和ケア病棟のことになります。
痛みをとる緩和医療に興味を持ち、岩手にホスピスがないということもあり、
ホスピス医になり、岩手にホスピスを作りたいと思ったそうです。
医師になったらいつかは幼い頃からお世話になった診療所で地元に貢献したいという思いを抱き、岩手医科大学に入学します。大学を無事に卒業し、
卒業後は臨床研修医として、岩手医科大学で2年間、その後は糖尿病代謝内科での1年間の経験を経て、生まれ故郷の普代村に戻り、診療所所長となります。
そんな柾屋さんですが、あまりにも大きな試練・出来事が起こります。
故郷への赴任が決まり実家に戻ってきた直後に震災に見舞われてしまいます。
しかし、震災があったからこそやるしかない!という想いで、
2011年4月、28歳という若さで17代目の診療所所長として赴任します。
一人しか医師がいないので、内科・外科など全分野の診療をしていかないといけません。
自分の力でできるんだろうか。という不安はあったようですが、その気持ちよりも
やるしかない!という気持ちの方が大きく、住民とともに歩んできた。と言われています。
村でただ一人の医師として奮闘
普代村の診療所には、医師は、柾屋美緒さん一人しかいません。
他に職員は4人の看護師と事務員だけになります。
いくら村の診療といってもこの人数で、村民2,600人の命と健康を守り続けて
いるのですから、どれほど大変なことか。
薬剤師もいないので、柾屋さんが薬を調合しています。
医師、薬剤師、技師と、一人何役という仕事をされています。
さらに、診療所に来ることができない患者さんのために、
週に1回は訪問診療も行っています。
個人の家や老人ホームも回っているようです。
姉妹や母親について
次に、柾屋美緒(まさやみお)さんの姉妹や母親についてみていきましょう!
三人姉妹の長女
柾屋美緒(まさやみお)さんは三姉妹の長女になります。
よく、仕事が医療関係だと家族にも医療関係者がいる。というのは聞きますが、
特に家族に医療関係者はいないようです。
母親と一緒に暮らしている
現在は、柾屋美緒さんは実家で、柾屋さんのお母さん、息子の慎太郎君くんの
3人で暮らしているようです。
昼間は医師として忙しく、息子さんと過ごすことがなかなか難しいので、
その分、夜はできるだけ息子さんと一緒にいる時間を作るように努力されているそうです。
お母さんにも協力してもらいながら
仕事と母親の両立をされているんですね。
まとめ
今回は「柾屋美緒(まさやみお)の経歴や学歴がすごい!姉妹についても調査!」と題して
柾屋美緒(まさやみお)さんの経歴や学歴、姉妹についてを紹介してきました。
故郷を愛し、大学病院で学んだあと普代村の診療所所長となった柾屋美緒さん!
岩手県・普代村を絶対に無医村にしない!と、
村民の命と健康をたった1人で守る若きスーパー医師になります!
これからも応援していきたいと思います!
今回は以上になります!最後までお読みいただきありがとうございました!